院長紹介

院長のご紹介

院長

経歴

平成5年広島大学歯学部卒業
平成5~7年広島大学歯学部附属病院研修医
平成7~10年広島大学大学院
平成10~12年ペンシルバニア大学医学部
学位取得後研究員
平成12~13年広島大学歯学部附属病院医員
平成13~17年広島県呉共済病院歯科勤務
平成17年緑ヶ丘歯科クリニック開設

【所属団体、所属学会】
日本補綴歯科学会
日本ヘルスケア歯科研究会
床矯正研究会

こんにちは、緑ヶ丘歯科クリニック 院長の田中秀司です。

私は、日常の診療において、患者様の歯の痛みや歯に関する悩みを解消して差し上げたいのはもちろんですが、さらに、患者様が一生涯、健康なお口の状態でおいしく食事ができるようになっていただいきたい、よりきれいな歯になって、もっと自分に自信が持てるようになっていただきたい、その結果、より多くの方が豊かな心で、幸福に暮らすことができるようになっていただきたいとも考えています。

スタッフ一同全力で患者様の健康をサポートし、豊かな人生を送っていただくためのお手伝いをさせていただければと思っています。

もしも不安なことやご不明な点がありましたらお気軽にお問い合わせください!

幼少期

私の生まれは、鳥取県鳥取市。昭和44年2月1日に生まれました。

ちょうど、アポロ11号が人類初の月面有人着陸を果たした年です。

家族は父母と祖父母、一つ年上の兄の6人家族でした。

 

幼少期はごく平凡な子供だったと思います。兄や近所の同年代の友達と、鬼ごっこやかくれんぼ、野球など、外で走り回って遊んでいたことを覚えています。

 

また、休みの日には父にいろいろなところに遊びに連れて行ってもらいました。


とても家族思いの楽しい父でしたが、怒るととても怖く、私のいたずらがすぎるとお灸をすえられたりしたことを覚えています。

 

でも、それも私のしつけのためであり、そのように厳しく育ててくれたことを今では大変感謝しております。

 

母は教育熱心でした。学校が終わって帰宅してからの時間や休みの日に友達と遊びに行こうと思っても、宿題をしてから行きなさいと厳しく注意されたり、通信教育や塾通いなど勉強の機会をたくさん与えてもらいました。

 

そのような熱心さがあって、今の自分があるのだとこれも非常にありがたく思っています。

小中高校時代

小学校時代の思い出を振り返ると、何よりも運動の苦手な子だったように思います。2月生まれで早生まれだったため、背の高さはクラスの中でいつも小さいほうから3番目以内でした。

 

今から思うと、4月生まれの同級生とは10ヶ月近い成長の差があるので、特に運動の競争では負けるのも仕方がないことかなと思います。

小学校、中学校時代は、同級生の間で人気のスポーツといえば野球でした。
多くの同級生が野球部で野球をしていましたが、私も友達と一緒に野球部に入って部活動をしていました。

 

しかし、この“早生まれの壁”のためかいつも補欠で、レギュラーに選ばれることはなく、いつも運動に関しては劣等感を感じていたように思います。

運動以外では、小さい頃から機械的なものに非常に興味を示していたようで、与えてもらったおもちゃを分解して細かい部品などを触って遊んでいたことがよくあったようです。

そういったことがあってなのか、小学校の頃から理系の教科が好きで、高校の頃には物理が一番の得意科目でした。

 

工学部や理学部など、得意な物理を活かせる進路も考えましたが、もっと人に対してより直接的に役に立てる職業に就きたいと考え、歯学部進学を決めました。

 

歯科治療は、虫歯になった部分の細かいところをきれいに回復させるなど、非常に繊細な作業が必要なのですが、もしかしたら、小さい頃からの私の機械や細かいものが好きな性格は今の歯科医師の職業に向いていたのかもしれません。

大学時代

昭和62年、無事に広島大学に入学しました。

その当時、高校を卒業した私が抱いていた大学生のイメージは、勉強はそこそこで、自由な時間はサークルなどで存分に遊ぶ!といった感じでした。

そんな大学生活に憧れを抱いていた私でしたが、両親からありがたい仕送りをしてもらっている身分で、それほどの余裕があるわけではなく、存分に遊ぶことがかなわないことであることはすぐに分かりました。

 

それでも、せっかくの大学生活を学業だけで過ごすのはもったいないと思い、遊び半分の軽い気持で、歯学部のテニス部に入部しました。

ところが、このテニス部は、遊びは少しで、かなりまじめにテニスに取り組む部活でした。

中学・高校と部活を続けてこなかった私は、だんだんと練習をサボりがちになり、幽霊部員になりそうになっていました。

 

そんな中、後輩思いの先輩と私のことを気にかけてくれる同級生に恵まれ、誘われて練習するうちに、少しずつテニスに熱中するようになりました。

気がつくと週のうち5日はテニスをしているほど熱心にテニスに励んでいました。

“早生まれの壁”を経験して育ってきて、それまで運動で成果を出したことのなかった私は、本当にわずかではありますが、このテニスを通じて初めて運動での達成感と、継続して努力することのすばらしさを感じることが出来ました。

 

また、すばらしい先輩、後輩、同級生とめぐりあうことができ、人とのつながりや関わり合いの大切さも学ぶことができたと思います。

 

現在までも、テニスを通じて多くの人とめぐり合うことができ、しかもその出会った人たちが皆すばらしい人たちであり、私の人生の中で、テニスは非常に大きな影響を与える存在となりました。

テニスを通じて出会えた人々に心から感謝しています。

 

部活に専念していると、学業がおろそかになりがちですが、すばらしい友人に恵まれ、ともに励まし合いながら部活も学業も両立でき、途中つまずくことなく卒業し、無事に国家試験も合格できました。

研修医時代

卒業後は、大学病院に2年間研修医として勤務しました。

補綴(ほてつ)という歯のなくなったところを人工の歯で補うことを専門とする講座に所属しました。

ここでは、経験豊富な先生について歯科医師としての基礎と補綴についての専門的なことを学びました。このときに指導していただいたことは、現在でも日々の臨床に大きく役立っています。

その後、縁あって大学院へ進学することになり、3年間生理学の研究に携わり、その後2年間アメリカでも研究に携わりました。

この時の経験は私の人生の中でも非常に貴重な財産であり、このような機会を与えてくださった諸先生方には今でも大変感謝しています。

勤務医時代

その後は、本格的に歯科医師としての仕事をするために、再び大学病院へ勤務しました。

 

その後、出向先の総合病院の歯科へ勤務し、臨床経験を積みました。

日々の臨床を重ねていく中で、自分が患者様へ一生懸命に取り組むと、患者様から喜びや感謝の声としてかえってくることを実感し、そのことが私自身の喜びやさらに研鑽を積んでいくことの励みにもなりました。

 

しかし、雇われて働いていると何かと制約があり、もっと自分の思うとおりに臨床をしたい、自分の理想とする組織を作っていきたいと考えるようになり、自身で開業することを決意しました。

開業

平成17年5月、縁あってこの地で開院することとなりました。


チェア3台、スタッフは歯科衛生士2人と妻でのスタートでした。

開業以来、患者様に通いたいと思っていただけるような、魅力ある歯科医院となるよう、スタッフとともに日々努力しています。

 

おかげさまで、患者様にも少しずつ来院して頂いていますが、まだまだ道半ばです。

これからも、技術研鑽に励み、患者様のお役に立てるように邁進していきたいと考えています。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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